月  (作者:八坂京)




お空にポッカリと浮かんでいるお月様のうしろには、何があるのかご存知でしょうか?
何にもないといえば何もないことになるでしょう。

このお話には、目には見えない世界があるのです。
魔物や妖精や天使や神様が住んでいるような世界が。

ある支配階級高位の魔族は人間と契約してその代償を得るという仕事をしています。
彼には、優秀な執事がついています。その執事は彼が作った人形なのです。執事の名をポポルといいました。ポポルは彼がこれまで作った事のないくらい、丹精こめて作った人形でした。命を与えましたが、所詮は作り物。いまいち人間味がなく、表情や感情というものが欠けていました。常よりポポルは、本物の人間や、主人のような魔族になりたいと思っていました。
(マスター、夜の精様がいらっしやいました。お通ししますが? )
「ああ、通してくれ。」
薄暗い、広い部屋。
その部屋の片隅の、肘置きのついた豪奢な椅子に、館主人は腰掛けている。
主人への言葉をつむぐは、艶めかしく、美しい人形だ。
主人はパイプを片手に、視線を上げた。
一端戻った執事のポポルは、夜の精を連れてきた。黒衣に身を包んだ、片手に乗るほどの小さくも美しい御夫人を。
(マスター、お連れしました。)
夜の精の姿を認め、
「やあ、久しいね.急に呼びつけて申し訳ない。」
夜の精は澄んだ声で、
『いいえ、いつものことでございましょう、ペルソナの末のお子様。きになどいたしません。』
そして、母親のような笑みを浮かべた。
館の主人はん差し掛を振って、正面の丸テーブルの上に、彼女用の椅子を出した。
『ありがとう。』
彼女が腰掛けるのを見届けて、
「星屑入りのワインはいかがです?せっかくの夜なのですから、飲みながら話しましょう。」
『頂きましょう。でも、専ら話すのは妾ではなくって?』
微笑む彼女は、その小さな手に小さなウイングラスを生み出した。
ポポルが赤く、よい芳香の星屑入りのワインをグラスに静かに注ぐ。
『ありがとう、ポポル。』
ポポルは一礼して奥へと下がる。
夜の月、三日月が冴え光る。涼やかな風が古びた力−テンをさらさらと揺らす。
『お聞きになって? 東南の鏡守、ドゥリーミンの君が大失敗なさって、鏡を打ち壊してしまわれたの。これから大変ね。呼び出しが増えてよ。』
「困ったことを。あの無能めが。さっさと失せればいいものを。」
主人は手のグラスを優雅に回して、冷ややかな笑みを浮かべる。
館主人は支配階級第一位のペルソナの末子。故あって彼は家を飛び出した。今の職は西の鏡守。人と契約を交わし、願いをかなえ、見返りを得る、それが彼の仕事である。すべては、鏡を通して行われる。
「鏡はしつこい。私をくだらんことで臨む人間どもをいつも見せつけてくれるわ。憂鬱仕方がない。目障りな人間どもを我が魔力で滅ぼしてくれようか。実にたやすいことだ。」
『お口が悪うございますこと。』
丸テーブルの上の椅子から立って、美しき夜の精は、館主人を見上げる。
ポポルは部屋の片隅にたたずんだまま。
「契約はもう飽きた。燭台を見れば自ずと分かろう。明かりとなる人間の魂の溢れて、これ以上必要ない。広すぎる館にも余る。ドゥリーミンの奴はそこまで私が憎いのか!」
ふいに気だるい雰囲気をを破る、朗らかな笑い声。
 ワインを一口、夜の精は言う。
『意地悪をして悪うございましたわ。機嫌を直してくださいまし。〔月〕についてのお話しをいたしますから。』
「お人が悪いことだ。では聞かせてもらうとしようか。」
主人は苦笑を浮かべたのもつかの間、今度は無邪気に笑いつつ、
「ポポル、もうl杯ついでくれないか。今宵はよい話が聞けるようだよ。共に聞こうじゃないか。」
(ええ、ではそう致しましょう。)
やわらかな笑みをポポルは主人に向ける。そして、燭台を手に主人の元へ。
夜の精は椅子に座りなおして、話し出した。
『妾が我が一族より聞き集めましたの。』

◆三章の壱 妖精・魔族における人間観◆
 地球に棲む人間は、皆とても変わっている。
月には兎が住んでいるとか、月人がいるとか、不思議な力を与えてくれるとか、ほかにもいろいろと信じ込んでいる。
いまや人間は両の足で立つことできる。かわいそうに、幾つかの夢は消えたことだろう。
月の向こう側の我々にとって月は門であり、窓であり、鏡のようなものである。我々は気まぐれに月を通してわがままな人間たちを見ては、仕えたり、見守ったり、惑わしてみたり。それで輝く月を『金鏡』とか『水鏡』と呼んだりすることがあるのである。
我々にとってみれば、人間とは不思議な存在で、興味深い生き物だ。
だから、妖精も魔族も人間が気になるのだ。
当の人間は、我々が存在するのも知らないのだ。誠に滑稽なことである。
◆『地球辞典』◆


NO1
月には“人を惑わす獣”が棲むという。
人はポッカリ浮かんた用に、魂を抜かれてしましい、狂気になる。
うっとりした瞳で宙を嬉しそうに眺めていたり。
その抜けていった魂は、いったい何処へ行つたのたううか?
そう、“用の獣が狩つたのた”という。
あやかしの美しい姿で現れ、醜いおのれを偽り、人を惑わす。
そして極上の魂を食らうのだ。
月に憑かれた者は、もう戻つてはこられない。
だから、人はとくに美しい月夜は、月に供え物をしたり、
祭りを行つたりして、魂を狩られないようにする。
月は奇妙とか不思議とか言れれるでしよう?
月は美しい。
彼ら、“用の獣”の棲家は月。
美しいものと、醜いもの、それは”二律背反”。
あなたも憑かれないように、こ注意くださいな。


NO2
月は神と同じ。身分は高い。
人間は天の月人より、卑しいもの。
地球は罪を犯した月人が送られる場で、汚れたところ。
汚れは月人にとって苦痛。
夢を償うため、追放された月人はこれに耐えなくてはならない。
「かぐや姫」という東の国の姫は、月の方で罪人。
人界で過ごしたとか。
償い終わって、急いで月へ帰ったそうだ。


NO3
月の力でばけものになつてしまう。
そんな男を“狼男”なとと呼ぶ。


NO4
月は人々に嫌われ、太陽は人々に愛された。
月は太陽と相談して、昼と夜を分けた。
でも月は人々が眠る時に現れる。
それが淋しくて、吸血鬼一族と仲良くなった。
太陽を嫌う吸血鬼たちは、彼の最高の民。
そして少数の獣たちも友人。
月は淋しがりや。


NO5
月が赤いと魔が下る。新月は凶で、満月は吉。
月が傘をかぶって、明日は雨。
月はおぼろに、明日は曇り。
月が大きいと不気味。三日月は死神の顔。
月は水先案内人であるとか。


NO6
月が泣くと、幽霊が出る。
月が笑うと、幽霊は消える。


(マスター。吾はある書物で、吾と同じく魂を込められた人形が、人間の力や、影響を受けて、本物の人間のような感情を持った、という記述をみつけました。魂を持ったといえど、所詮は不完全なはず。どんなに優秀な魔術師でも、本物の感情を与えることなどは不可能なのだとは、既に知っています。けれど、もし本物の感情を持てるのなら持ちたいの
です。)
不意にポポルが言った。
「私はもちろん、私の父をもってしてもおそらく不可能だ。そうしてやりたくともできん。」
『本物の感情、持ちたいの? ポポル。』
主人の言葉にがっかりしているところに、夜の精はやさしく尋ねた。
子供のようにポポルはこくり、とうなずいた。後はうつむいてしまった。
確かに彼は、はたから見ても表情が乏しかった。
「おまえは今のままで十分やってくれている。私は満足だ。だからほかの人形にはやらなかった名を与えたのだ。」
それでもポポルの気は晴れぬよう。
夜の精はしばし、二人のやり取りを眺めながら、なにやら考えていた。
確かに、弱々しく頼りなさそうに見える人間が、時にすばらしい力を発揮すると聞いたことがあった。
『ねえ、二人とも、近く、魔女たちの集会が開かれるのをご存知かしら?彼女たちはちょうど人間の研究をしているのだそうよ。集会で月を通して選んだ人間を、召喚して研究するとか。』
「召喚される人間は確か、あの地球に棲むのを快く思っていないものだったはず。呼ばれた者は二度と地球に帰れない。」
『そう。なら、彼女たちの用事が済んだなら、その人間を引き取って、ためしに傍においてみてはどうかしら?』
魔女たちははるか昔から人間を召喚してきた。呼ばれた人間たちは、月の裏側のここで、さまざまなことをしながらいろいろなところで暮らしているとか。ある人が言うことには、彼らはここに来ることができたことを喜んでいる、と。
しばらく主人は考えて、
「もしおまえがどうしても」と人間を望むなら、今度招かれる人間をここにおいてもいい。ただし、魔女頭がこのことを許し、人間のほうも認めてくれればの話だがな。無理に呼ばれた彼らは、ここでは特別待遇だということもある。どうなるかは分からない。」
ポポルは嬉しそうな顔をして、ぜひ、と頼んだ。
『月に祈りを捧げる者たちもいるというわ。あなたも祈ってみればどうかしら。もしかしたら、あなたの願い、叶えてくれるかもしれなくてよ。』
夜の楕はやさしく言った。
ワインを手にした主人は、いつもより人間味のある顔をしたポポルを満足げにみていた。
ポポルが知っている話も交えながら、楽しいお喋りはいつまでも続く。
月はそんな彼らを黙って見つめている。
明け方頃、主人はうっすらと見えている月に、誰にも見られないように祈った。
 「私の仕事がもっと減りますように。ペルソナが早死にしますように。』
The end