【未来形】〜A song of a death〜  (作者:青蓮 李)


――――る・る・ら・る・ら
る・る・ら・る・ら

漆黒の、夜。
丘の上から望んだ限り、街に明かりは見えなかった。
唄うように流れる、『風』。
それは、どこかしら変声期前の少年の声にも似ている。
『風』の監視人である彼は、岩肌に身体の重みを預けて、『風』の創り出す唄に聞き入っていた。

――――ら・ら・ら・る・ら
ら・ら・ら・る・ら

空には白金の指輪の一端が見える。
しかし、それ以外の惑星は、夜の女神に遠慮したのか、砂粒ほどの輝きも放っていなかった。
「ライラが喜びそうな夜だな」
彼は空を仰ぐと、監視人としての仕事を忘れて、そう呟いた。
彼の背後で、『風』は唄い続けている。
『風』がそんな態度をずっととっていたものだから、彼も夜の女神が用意した素晴らしい世界にばかり気をとられてしまっていた。

――――ら・ら・ら
る・る・……………

しばらくして、彼の様子に気付いたのか、『風』が唄うのを止める。そこでようやく彼は自分が『風』の気分を害してしまったことを知った。そしてそれが遅すぎたことにも。
一瞬にして辺りの空気の密度が高くなる。
小型の竜巻にも似たそれは、突風を伴って、彼の目の前に姿を現した。彼――――ヤドリがこの光景を目にするのは、これが三度目だった。
――――許さない。
『風』は口を開くなり、そう言った。
――――ヤドリがぼくの唄を聞いてくれてないなら、
ぼくはもう二度と唄わない。……謝っても、ムダだよ。
すぅ、と二つに割れた空の中に、細いシルエットが形成される。最初は薄い紙のような『風』が、徐々に立体感を増して、最終的には少年の輪郭を描く。
銀の髪、金の目。闇色の服の裾から覗く、『風』の真っ白な肌は、暗闇の中でもよく目立った。
『風』は二、三度まばたきして、自分の身体に異状が無いかと爪先から指先までを見ていたが、満足したのか、それを止めて、ヤドリに向き直った。
――――言い訳は? 聞いてあげるよ。
「……ヒィアの姿が見たかったんだ。その、久しぶりに」
ヒィアは、ふん、と鼻で笑うと、
――――なァに、それ? ハ、じょーだんきついよ。
とん、と地面を蹴って空中に浮き上がる。そのせいで、ヤドリはヒィアを見上げなければならなくなった。
――――ふーんだ。ヤドリなんてキライだよ。
ヒィアはそっぽを向いてしまう。
空中で足を組んで座ると、ヒィアはヤドリに対して完全無視を決め込んだようだ。指先で前髪をつまんで、軽くクセのあるそれをストレートにしようと引っ張ったりしている。
それを何とかなだめようと、ヤドリは優しく声をかけた。
「ヒィア」
ヒィアは振り向かない。
「ヒィア、ごめん」
今度は幾分媚びを含んだ声で話しかけた。
「あんまり空が綺麗だったから……ヒィアのことを忘れていたわけじゃないんだ。ほんとに、ごめん。……俺、ヒィアのこと、好きだよ」
ヒィアが動きを止める。
「……ヒィアは俺のこと、嫌い?」
横目で見下ろしてきたヒィアに、ヤドリはすがるような目線で覗き込む。ヒィアの答えを先に知っている自分は酷いな、などと思いながら。
――――……キライなわけ、ないよ。
でも……次からは、絶対、許さないからねっ。
ヤドリの予想通り、先程と正反対のことを言って、ヒィアは空から降りてきた。
「ありがとう、ヒィア」
実体の無いヒィアを抱きしめることは出来ない。
ヤドリはヒィアの幻影を崩さないように気を付けながら、ヒィアの身体を両腕で包み込んだ。
――――か、カン違いしないでよっ!?
ぼくは、ヤドリのこと、キライじゃない、って言っただけなんだから!
調子に乗らないでよね、と念押しして、ヒィアは幻影の形が崩れるのも気にせずに、ヤドリの腕の中から抜け出す。
――――……いいよ、ヤドリのために、唄ってあげる。
でも、今度はちゃんと聞いててよ。
ヤドリは頷き返すと、ヒィアの傍に座った。
ヒィアは、らしくもなく少しためらった後、ゆっくりと唄い出した。



――――ぼくが唄うのは、死の唄。
ぼくが一つ音を創るたび、一つの命が天に還る。
迷い込んだ山の中で、突然姿を現した風の精。
ヤドリはヒィアに初めて出逢った日、そんな話を聞いた。
しかし、不思議なことに、ヒィアを恐ろしいとは少しも思わなかった。
――――ヤドリ、ぼくはきみを殺すかもしれないよ?
好奇心で自分に近寄ろうとしたヤドリを、ヒィアはそんな言葉で脅した。
『どうして?』
――――ここはぼくだけの聖域さ。
誰にも知られたくないんだもの。
『だから、俺を、殺す?』
――――そう。
ぼくの唄を使ってヒトを操れる。
簡単さ。耳元で死の唄を囁けばいいんだ。
『ヒィアは、なんでそんなことをするんだ?』
ヤドリの質問に、ヒィアは嘲るように笑った。
――――なんで?なんて考えたことないよ。
ぼくは唄いたいから唄ってるだけさ。
『じゃあ、誰かのためにっていう訳じゃないんだ』
ヤドリがそんなことをポツリと言った直後、ヒィアの横顔に暗い影が射したのをよく覚えている。
ひどく哀しそうな瞳をしていた。
――――ぼくは人間じゃない。
唄うことしか出来ない『風』だよ。
空気が震えた。何かに怯えるように。
『それなら、誰かのために唄えばいいんだ。そうすれば、きっとヒィアも淋しくないし』
ヤドリはその日からずっと、ヒィアとの約束を果たすために、この丘へ通っている。



「今日の唄は……どうしてだろう、ヒィア。俺にはいつもより哀しく聞こえる」
ヒィアが唄い終えて、ヤドリは素直に感想を述べた。
――――西の国だよ。
「西?」
――――火が、見える。
「…………戦争?」
ヒィアは答えなかった。そのせいで、ヤドリにはそれが肯定の返事であるとわかってしまう。
――――……ぼくの、せいなのかな。
「ヒィア!」
ふいに、ヒィアは空中にその姿をかき消した。ヤドリは慌てて立ち上がると、彼を捜そうと懸命に目を凝らす。
ひゅん、と風が鳴って、楡の樹が頭をもたげた。
揺れる木の葉の合間に、ヒィアの素足が見える。
――――ねぇ、ヤドリ。ぼくは、怖い?
ヒィアは傷ついた口調で、とつとつとヤドリに聞いてくる。
こういうとき、ヒィアはかなり舌足らずだ。
――――ぼくは唄を唄っているだけだよ?
誰も、何も、失いたくはないのに。
そっと自分自身を守るように抱きしめて、ヒィアは続けた。
――――この惑星にもうこれ以上の力はないよ。
それが分かったから、他人から何かを奪おうとするんだ。……皆不安なのは同じなのに。
そこまで言って、ヒィアはヤドリを振り返った。
――――……わかりにくかったかな。
ヤドリは軽く首を横に振って、
「ん、大丈夫。わかるよ。……あのさ、ヒィア」
――――? なに?
「俺、ヒィアのことを怖いなんて一度も思ったこと、ないよ。ヒィアはこの惑星を守るために唄ってるんだから。俺たちは、むしろヒィアに感謝しなきゃいけない」
ヒィアはヤドリの言葉を聞きながら、瞼を閉じた。
「俺はこの惑星が好きだよ。何もかも、ぜんぶ。だから……いつかは俺たちは滅びなきゃいけない。……この惑星の、ために」
惑星を護る者と、惑星を破壊する者。
どちらが先かはわからない。
ただ、お互いの使命を忠実に守るだけ――――。
――――ヤドリ。
楡の樹のさざめきが消えるのと同じ速さで、ヒィアは瞼を持ち上げた。
細い銀の髪の合間から、綺麗な金色の瞳が姿を現す。
――――人間は綺麗だね。何かのために、戦えるから。
ぼくに言わせたら、儚すぎるぐらいにさ。
「………………」
――――ヤドリ、ほら、魂の還る唄が聞こえる。
いくつもの空を飛んで、楽園に戻っていくんだ。
薄く金色を帯び始めた地平線に、視線をさまよわせる。
星屑のような光が、微かに空に舞ったような。
「魂は、どこへ還るんだ?」
――――とおくだよ。ずっと、遠く。
生まれる前の場所に戻って、そこで眠るんだ。
いつのまにか、ヒィアはヤドリのすぐ傍に戻って来ていた。
軽く風が起こる。
――――淋しいね。なんだか。
「ああ…………」
ヒィアの指先が、ヤドリの服に触れる。
僅かに歪んだ幻影が、袖を掴む仕草をした。
――――……ぼく、もう、帰らなきゃ。
また、逢おうね。ヤドリ。
ヤドリが頷き返したのを確認して、ヒィアの幻影はかき消えた。最後に、本当に嬉しそうに微笑んでから。



――――る・る・ら・る・ら
ら・ら・ら・る・ら

何処か遠くから、唄が聞こえた。ヤドリは別れ際に触れられた袖の上に、掌を重ねる。
いつの日か、彼が運命の戒めから開放されて、唄える日が来るといい、と願いながら。

相反する運命も、いつかは重なることがあるかもしれない。
そんな事を漠然と考えていた――――。

〈A song of a death / END〉

presented by Ri-SeiRen 1999/6