女神に逢いましょう  (作者:貴瀬 織絵)



 月に一度、仕事仲間が集まる会合の席。
「いったいど−いうことよ!」
 私はテーブルにドンっと荒々しく両手をついた。
「ど−して他の人に頼んじゃいけないのよ。私の担当地域だけ夏が来てないからさっさと仕事しろって言ったのは長老でしょ?」
 私は腰まで伸びた長い髪を後ろへ追いやった。
「フォッフォッフォ。そう怒るとせっかくの可愛い顔がだいなしじゃぞ、キャリー」
 テーブルの向こう側の長老は私達の束ね役であり、仕事の指揮官でもある。しかし、この危機感のなさが玉にキズだったりする。
「そ−じやなくてっ!どうして別の人がイパルマに夏を呼んだらいけないのよ。ここら辺の季節の移り変わりは合わせなきゃいけないんでしょ?だったら…」
「キャリー。イパルマはキャリーの持ち場じゃろ?」
「そうだけど…」
「だからじゃ。おまえがやりなさい。フォッフォッフォ」
 だから−、と言いたいのを私はこらえた.この人に口論を吹っ掛けるのがそもそもの間違いだ。どう突っ込んでいっても結局私が言いくるめられてしまうのだから。
「仕方ないわね」
 私は気が乗らなかったけど、引き下がることにした。
「それにしても、どうしてキャリーのところに夏が来ないの?」
 なんだかんだいいながら会もなんとかお開き、の方向へ向かいはじめたとき、仕事仲間のシルバがふとそんなことをロにした。
 ちょ、ちょっと、今頃そんな事聞かないでよ。
 私が答えようとしたのを同じ仕事仲間で、この会の司会役のガルが遮って言った。
「こいつ昼寝の最中に自分のマルドを落としたのさ。そして、代わりにこんな不良品を拾ってきやがった」
 ガルはそう言って私の背中のギターをみんなに見えるように高々と掲げた。
「不良品とは何よ。これでも下界ではポピユラーな楽器なのよ。ほら」
 私は適当に曲を奏でてみせた。周りは何も言わず私達のやりとりを黙って見ている。
「…ま、まあいい。とにかく、あのササルのマルドをなくしたのは一大事なんだ。さっさと見つけるんだな。さ、長老、お開きにしましょう」
 ガルの奴、人が下手に出ればぬけぬけと…!
 かくして、会合は終りを告打た.ガルへの不満はおもいっきり残ったけど。

 会の後、私は適当な雲に乗って、下界を見下ろしていた。もちろん、マルドを探すためだ。
 そうは言ってもこの広い下界のこと、簡単に見つけられる訳はないのだが。
「どこにいったのよ、私のマルド…」
 私達は自分のマルドを持っていて、それを弾くことによって季節を運ぶ。あまりに日照りが続いたりすると雨を呼ぶこともある。ただし、それは自分のマルドを奏でたときだけ。
 私のは、天才的な演奏技術で評判だったササルに死ぬ間際にもらったものだ。唯一無二、世界にたった一つしかない大事なマルド。それを、なくした。
「困ったなあ」
 私はまたなんとなく下界を見下ろした。
 眼下にはイパルマの街が広がる。
 最初この街を任されたとさ、「華やかさがない」、なんて言って駄々をこねたのを今でも覚えている。でも、それは間違いだった。誰の担当しているどの地域より素敵なイパルマ。東には市が立ち並び、西には田園が広がる。北には港があって、南のはしには小さな森。
 その小さな森で私はよくマルドを奏でた。仕事以外でも、あの場所は私の安らぎの場所だった。
 そう、今あの子が弾いているように切り株の上で…
 ガバッと私は起き上がった。何であんな小さな子が私のマルドなんか持ってるのよ。
 私は急いで下界、イパルマの街へ降りていった。

  −この時期にはもう、ヒマワリが大きな花を咲かせているはずなのに。はず、だったのに。
 いっこうに夏が釆ない。このまま秋になってしまったら作物は全滅だと父さんがいってた。
 僕は、父さんの畑仕事の手伝いから逃げて、家から少しいったところにある森にいた。森とは言っても僕の住んでるこのイパルマの街全体の十分の一にもみたない広さだから、林と言ってもいいのかもしれないけど。
 僕は、草で覆った穴から楽器を取り出した。この穴には最近までギターが入っていた。でも、それはもうない。なくしてしまった。でも、後悔はしてなかった。こうして、代わりの楽器が手に入ったのだから。
 『それ』は、ギターに似ていたけど全然逢っていた。まず弦が八本あった。音もギターより高かった。でも、丸い穴が開いているのは同じだった。
 僕は『これ』の使い方を知らなかった。けれど、この楽器にすっかり魅了されていた。弾いてみたい、と思った。
 僕はギターの練習用に作った木の切り株の椅子に腰掛けた。
 でも、どうやって弾いたらいいんだろう?
 その時だった。
「あなた、何持ってるのよ」
 大人が聞いたら一体なんて言っただろう。でも、僕は不思議に恐怖は感じなかった。驚きはしたけれど。
 僕はゆっくりと声のしたはうに振り返った。
 そこにいたのは一人の女の人だった。でも、僕の知っている人ではなかった。
 その人はゆったりとしたローブをまとっていた。金髪が腰のほうまで長く波打っている。そして、見た事もないような綺麗な顔をしていた。
 僕はそのとき直感した。
 彼女は僕の持っているものを指差した。
「それ、私のよ。これと取り替えてくれない」
 僕が呆然としているところへその人はギターを差し出した。それはなくした僕のギターだった。
「僕の、ギター…、どうして…?」
「いい質問ね。でも私も分からないわ、いつの間にか持ってたのよ…って拾ったんだけどね」
 彼女は楽器を受け取ると少し微笑んだ。
「さあ、仕事しなきゃ。…よかったら聞いていかない?」
「う、うん!」
 僕はなんだか嬉しくなって、彼女の周りを飛び跳ねた。
「おかしな子ね。ほら、そこに座って」
 彼女は僕を柔らかな草の上に座らせ、自分は僕が作った椅子に腰掛けた。僕はなんだか誇らしかった。
 彼女は三角の形をしたものを取り出した。それをさっきの楽器の弦に押し当てる。
 そして、流れて釆たのは僕の知らない曲だった。でも、僕の頭の中には、爽やかな初夏の風が吹くのが分かった。
 終わったときには僕はたまらずに拍手をした。小さな手で、せいいっぱい。
「ありがと。何か素直に褒められると照れるわね」
 彼女は顔を赤らめた.そして唐突に尋ねた。
「ねえ、あなたそれ弾けるの?」
「えっ?」
 確かに、僕はギターを両親に内緒で練習してる。独学だけど、何曲か弾ける曲もあった。でも。
「弾けるけど…」
「何が弾ける?」
彼女は僕の不安も知らずにさらに聞いてきた。
「えっと…」
「何か弾いてみてよ」
 僕はドキドキしながら夢中でギターを弾いた。
そして歌った。何を歌っているのかも忘れるほど。でも、確か男が、「君は僕の女神だ」なんていって女を口説く内容の歌詞だったような気がする。
 彼女は笑っていた。
「なかなかいいわ。あなた、名前は?」
「ルル」
「ギターで身を立てていくつもり?」
 僕はコクンとうなずいた。
「そう、きっといいプレーヤーになるわ、ルル」
彼女はそういうと、森の奥へ向かって歩き出した。僕は何も言えないまま彼女が見えなくなるまでずっと森の奥を見つめていた。そして、それ以来彼女に会うことはなかった。

「なんだかんだ言って、あの子いい子だったわね。何年かしたら、きっといいプレーヤーになるわ。そしたら…」
 雲の上の呟きは届くはずもなく。

「ルルよう、それ本当なのか?」
 僕の友達はみんなこの話をしたらそう聞いた。
「ホントだよ」
「でも、神様なんて、人には見えないもんなんだぞぉ」
 そんな事いったって、僕はあの時、確かに思ったんだ。
 彼女は母さんや父さんがいつも話していた街を救ってくれる『女神様』だって。
 ほんとのところは分からないけど、僕は信じている。そして、死ぬまでずっと歌い続けるんだ。
 「君は僕の女神だよ」って.
 ふと見上げた空に、爽やかな初夏の風が流れていった。