十七年  (作者:久玲 緋伽)


 ショックだった。しはらくは口もきけずに私は呆然としてしまった。
 十七歳の誕生日の頃から、私は背中に鈍い痛みを感じ始めていた。初めは部活のバトミントンで筋でも痛めたのかと思い、湿布を貼っていたのだが二か月たっても治るどころかますます痛みが増していた。近所の病院に行っても、「ただ筋を痛めてるだけだ」と言われ、湿布を渡されただけだった。
 おかしいと思った私は母と二人で県立の大きな病院に行ってみた。
 そこではきちんとした検査を行ってくれた。検査が終わって、私は待合室に座らされ、母だけ診察室に呼ばれた。私は少しドキドキした。もしかして筋を痛めただけではなく、何かもっと大きな故障をしてるんじゃないか、と不安になった。
 やがて、私も診察室に呼ばれた。ドアを開けると、母が真っ青な顔をして私をじっと見つめた。不安がいよいよ大きくなった。
 背中が痛かったのは筋を痛めたなんかではなく、癌だった。脊髄に大きな腫瘍が出来ているらしかった。
 ショックだった。しばらくは口もきけずに私は呆然としてしまった。次に、これは何かの間違いだと思った。きっと誤珍だと思った。けれども背中が、まるで真実だと言うかのようにじくじくと痛むのである。
 医者は静かに入院して手術をするようにいったが私はすぐに断った。母が驚いたような顔をして私を見た。私も何で断ったのか不思議に思った。でも冷静に考えてみたらやはり断ったはうが良いと思った。
 私は今年の四月に十七になったばかりだ。私は若い。癌は若ければ若いほど、悪化するのも速いと聞いたことがあった。きっと脊髄を手術しても体のどこかに転移してるだろうと思った。転移した度に体を切られるのは嫌だし、手術をするほどのお金が家に無い事も分かっていた。
 私は無意識に病院とメスと薬に縛られる長い人生よりも、今まで通りの自由である短い人生を選んでいた。

 次の日から、私は学校に『普段通り』に適った。ただ『普段通り』だと思っているのは周囲の人達だけで、私にとってはあの日の病院の帰りから何もかもが一変してしまっていた。
 朝は母に車で送ってもらった。いつもは自転車をこいで行っていたが、とてもそんな元気はなかった。渋滞に巻き込まれた。のろのろ進んでは止まる私達の車の横を、自転車がすいすいと通り過ぎて行くのを見て、背中がじくじくと痛んだ。いつもなら私だってと思わずにはいられなかった。
 授業も受けた。同じ級友たちと机を並べ、ノートを開いたが先生の話は右耳から左耳へと抜けてゆき、何も書く気にならなかった。
 父は中一の冬に事故で亡くなっている.大学は奨学金をもらって行こうと思っていた。だから毎日毎日授業を真面目に受けて、真面目に勉強して来た。
 けれどももう無駄だと思った。私はもう大学には行けない。なのになぜ真面目に勉強しなくてはならないのか。そう思った。一生寿命問題を解いている級友たちを見て、背中がじくじくと痛んだ。
 放課後は部活を見学した。三年の先輩達は間近に迫る総体に向けて必死に練習していた。
 私はもうコートの中で走ることは出来ない。ラケットを握ってシャトルを飛ばす事なんて二度とないのだ。けれど私だって先輩達のように総体に出たかった。もっともっとあのコートの中でネットの向こうの相手とシャトルを打ち合いたかった。
 キュ、キュ、とシューズが床にこすれる音が体育館に響いた。本当なら私もこの音の一つだったのだ。そう思うと背中がじくじくと痛んだ。
 そんな日が何日も何日も過ぎていった。どんなに背中が痛くても、病院なんかに行くんじゃなかったと後悔した。もし病気が分かったとしても知らせてくれなくてよかったのにと母を恨んだりもした。病気だと知ったとたんに健康な他人と自分を此べてしまう自分に絶望もした。

 その晩、私は眠れなかった。暑い夏の夜だったが、眠れなかったのは暑さのためではなかった。ただ布団の中に入ったのに妙に目が冴えて、ただじっと横になっていただけだった。
 部屋の明りを消して、布団に入ってどのくらいたったのだろうか。ずいぶん長かったようにも、あっという間だったような気もした。
 夜が明けた。私の人生の終止符になるかもしれない一日がまた始まろうとしていた。
 昨日も今日も明日も日は昇り、そして沈む。そんな事、当たり前すぎて、いちいち「ああ、今日も生きているんだな」なんて実感した事なかった。今まで健康で、若くて、これから未来は長く続くのだと当然のように思っていた。「今日が最後の一日になるかもしれない」なんて考えた革もなかった。
 鳥が目覚める。日の光を浴びて木々が息づく。バイクのエンジンの音が家の前で止まった。ガチャッと郵便受けが開く音がした。ああ、新聞配達が来たんだな、と思った。自転車の錆びついたブレーキの音がした。ガチャガチャとビンの触れる音がした。ああ、牛乳配達が来たんだな、と思った。ギィ、とお向かいの門が開く音がした。たったったと人が走っていく音がした。ああ、お向かいのおじさんがジョンの散歩に行ったのかなと思った。

 この地上に満ち溢れる生活の音、生き物の音…。これらの音の美しさに気付かなかった。当たり前すぎて、その大切さに気付かなかった。
 私はもう長くない。それはこの体を病魔に蝕まれている私自身がよく分かっている事だった。最近は背中だけではなく、全身がミシミシと痛んだ。
 私は今朝初めて母に申し訳ないと思えた。逆縁ほど親不孝なものはないのにと思えた。今まで自分の事しか考えられなかった私が、これから一人残される母を想った。
 今まで共に学び、共にシャトルを打ち合った友人達の大半はこれからも年を重ねてゆくのだろう。でも、私のこの十七年が他人の八十年に劣るとはもう思わない。私はただ生きていた頃には気付かなかった生きている事の素晴らしさに気付いたのだから。
 そう思った時、急に背中の痛みが和らいだ。重かった四肢がふっと軽くなった。苦しかった全身が救われた気がした。
 ああ、そろそろ来たかと思った。後悔はなかった。もっと生きていたいと思わないと言えばそれは嘘になる。けれども私は十分に満足だった。これほど幸せな十七年はないだろうと思った。
 そして私は静かに十七年の終止符を打った。その顔は最高に幸せそうだった。

  あとがき
 はい。「十七年」はいかがだったでしょうか。しかしよく考えてみると、これは主人公の名前も無し、会話も無し、という状態ですねえ。ま、いいか.あと、周囲の大反対を受けましたが、書いた張本人としてはこれはハッピーエンドですっ。皆様もそう思いますよね? あ、あと本当はこの「ひとで」に「首」という話(もちろんハッピーエンド)を載せるつもりだったのに某怪人S様に阻止されて中止になりました。くすん。しかし、必ずいつかは載せますので、楽しみにして下さいね。